人間たちの所業を記録するのがカメラの正しい使い方?というと、少し上から目線ですが、ようするに記録写真としてスマホで日々ほとんどの人類が毎日のように何かを撮影して人に見せています。
これがカメラの正しい使い方だと思います。
よく、ライカで撮られた昔のフイルム写真がいいと思うのは、裕福な人が日常の記録写真として撮影した写真をまさか見られるとは思っていないようなものまでが公の場において公開されるからいいのです。
つまりは、富豪たちのインスタを見て楽しんでるのと同じです。
もう、こうかいたらライカがいいとか、国産レンズがだめとかいいとかそういう次元の話じゃないんですね。
ただ、安いスマホだとたまにほんとうにピントも合わないし、拡大するとほとんど潰れてるし、、、というのだと困ってしまいます。
身分相応に収入に合わせたスマホを買うわけですので、ライカを買ったところでただの一般人がサラリーマン年金で暮らしている程度ではいい写真は撮れません。
勝手に街中の人を背後から撮影したり、撮影用のモデルを連れてきたりしても、それも全部違うということです。
家族の成長の様子を記録するための写真。それがいい写真だと思います。
そういう意味では、家族とは限らず、人間が造ったあらゆるモノが撮影対象となってきます。
こういうのを記録したいというのが目的で、カメラやレンズの品質はおまけ程度です。
これ結構重要です。
カメラは好きだけど、人間は嫌いっていう人や、そういう気持ちになっているときは、写真なんて撮る気も起きないことでしょう。
逆に毎日写真ばっかり撮っていて人生を過ごしているのも不自然なはなしだと思います。いくら暇だからと言ってそういうのはなにか違うと思います。
でも、もう高齢になってからカメラにはまっても脳がそういうふうに気がつけないわけです。
若いうちにそういうことを脳に気がつかせたらよかったのですが、もうゆらゆらと歩くようになってからではなかなか気がつけません。
そういう意味では、今の人類はカメラの英才教育を受けながら生きているわけですから、高齢になってもガチでいい写真を撮り続けるでしょう。
最強です。
カメラメーカーの時代は終わりましたが、写真はいまだものすごい勢いで進化しています。